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こんにちは!
コンクリートを上げるからアップコンの松藤です。
【アップコン起業秘話】第308号(2023/8/4発行)嵐・
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2003年2月11日(火)
慌ただしく身の回りの私物を段ボールに詰め、
郵便局から小包で自宅へ送ります。
大した数ではありません。
たった5箱ほど。
全部本です。
服やパソコン、その他小物類は
全部キャリーバッグとブリーフケースに詰めこんで
自分で持って帰ります。
博多から東京まで新幹線での移動です。
この約1年半で東京と博多を何回新幹線で往復したことか。
なんて考えながらも、実際はほとんどぼーっとしていました。
「明日帰るから。」
と妻には前日に電話連絡を入れてはいましたが
「辞めた。」
とは言っていませんでした。
何も考えたくない、
何も話したくない、
何もしたくない、
状態です。
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2月中旬、
川崎の家に戻り、何もしない日が始まりました。
妻に会社を辞めたことを伝えると
「えっ!」
と一瞬驚いたような反応はしましたが
「あっそう。」
とそれだけです。
それよりも母親の方が
「どうするの?」
と何度も何度もしつこく聞いてきます。
私も面倒くさくなって
「そのうち何とかするから大丈夫。」
とだけ言って部屋にこもっていました。
部屋ではずっとパソコンの画面を見つめていました。
今まで気になっていたことや、興味のあることなどを
パソコンを通して調べていました。
ピーピー、ガー、ブンブンブン!
パソコンのスピードは遅く、
また、
3月になると、私は買ったばかりのダイナブックで懸賞生活を始めました。
プレゼントキャンペーンの情報をネットで探しては応募していまし
一日中応募しまくっていれば、
やはり数打ちゃ当たるじゃないけれどそれなりに成果が出ます。
この頃で一番の当たりは家族4人分のANAの航空券+ホテル+USJ1日券でした。
1泊2日、家族で大阪へ遊びに行きました。
もともと私は結構運の良いほうで、
何か当たるたびに妻も
「すごい、すごい!」
と言って喜んでいました。
外は春になっているのに
私は室内で遅い遅いパソコンをいじりながら懸賞探しの毎日です。
2003年のこの頃はデフレの真っただ中でした。
前年の2002年10月に日経平均株価は終値で
バブル崩壊後の最安値を更新し、
1983年以来19年ぶりに9,000円を割り込みました。
そして、さらにどんどん下落してきています。
底の見えない日々が続きます。
懸賞生活も1か月続けると
面白さよりも大変さの方が増してくるようになってきます。
「こんな時期に就職なんかできるのだろうか?」
と思いながらも、
ようやく動き始めたのは3月も後半になってからでした。