※この記事は沈下修正の専門家アップコンの社長メルマガ〔ニッポン上げろ!〕のバックナンバーです。
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こんにちは!
コンクリートを上げるからアップコンの松藤です。
昨日、7月1日はいろいろなことがありました。
先ずは、今年1月1日に起こった
令和6年能登半島地震の発生から半年が経ちました。
被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
アップコンも被災地での沈下修正工事を行っていますが、
今回の能登半島地震はここ数十年内の大地震の中では
最も復旧・復興スピードが遅いのではないでしょうか。
先日も能登町の現場まで宿泊地の富山県側から
毎日片道2時間往復して施工していました。
半島という地形上の制約が大きいと思いますが、
2016年の熊本地震と比べると段違いの感があります。
被害を受けられた皆さまの安全と
1日でも早く平穏な生活に戻られますことを
心よりお祈り申し上げます。
さて、
7月1日は川崎市制100周年の日でもありました。
1924年7月1日に、
川崎町、大師町、御幸村の3町村が合併して
川崎市が誕生しました。
100年の間に市の面積は6.5倍に拡大し、
人口は当時の人口4万8,394人から
155万人を超える大都市へと発展しました。
市の平均年齢は43.7歳(2020年国勢調査)で、
全国の政令指定都市の中では最も若い市になります。
また、
川崎市は毎年7月1日を市制記念日として
学校が休みになったり、美術館やスポーツ施設が
無料開放されたりしています。
私は1歳から川崎市に住み、
自然豊かな川崎から高度成長期における
「公害のまち」として有名になってしまった川崎を知っています。
子どもの頃、泳いでいた多摩川が、
(ちなみに、「川崎病」の「川崎」とは、
1967年に川崎富作医師によって報告された、
子供に特有の病気であって地名ではありません。)
その後、
公害問題に対し、川崎市民、事業者、行政は、
国に先行した公害防止条例の制定や起業との公害防止協定の締結な
様々な取り組みを行い、
現在は市民が安心して暮らせる生活環境を取り戻してきています。
アップコンも脱炭素社会の実現に向けて
2011年に「低CO2川崎ブランド」に認定されました。
さらに7月1日には
アップコンの地元、
川崎市高津区のJR南武線武蔵溝ノ口駅の発車メロディーが、
歌手の平原綾香さんのデビュー曲「Jupiter」
平原さんは区内の洗足学園音楽大学出身で、
私も幼稚園から小学校1年生の時まで洗足学園に通っていました。
(その後は父の転勤で広島県福山市で学生生活を送りました。)
当日は平原さんのミニライブが駅前で開かれましたが、
溝ノ口へ来られる時は駅の発車メロディーも聞いてください。
先週末には
市制100周年を祝う「かわさき飛躍祭」(ひやくさい)も開かれ
市内は多くのイベントでにぎわいました。
川崎フロンターレvs サンフレッチェ広島 戦では
ご近所に住む、川崎市出身の俳優・市原隼人さんが始球式を行い、
空には航空自衛隊の「ブルーインパルス」
川崎市は水素社会の実現に向けた「川崎水素戦略」を策定し、
扇島にあるJFEスチール高炉休止後、
2050年までに官民合わせて約2兆600億円を投資し、
環境負荷の少ない低炭素な水素社会の実現を目指しています。
アップコンも川崎市と共に
環境に安全な材料を使い社会貢献度の高い企業となることを目指し
進んで行きたいと思います。