※この記事は沈下修正の専門家アップコンの社長メルマガ〔ニッポン上げろ!〕のバックナンバーです。
こんにちは!
コンクリートを上げるからアップコンの松藤です。
前回のメルマガ第2号 〔 なんで起業したの?【前編】 〕
を読んで下さいましてありがとうございます。
1989年1月1日、私はオーストラリア・シドニーへ到着しました。
日本の武蔵工業大学(現東京都市大学)で建築を学び、
ニューヨークのプラット・インスティテュート大学院でインテリアデザインを学び、
ニューヨークのインテリアデザイン事務所でしばらく働いた後、
シドニーの大手建築設計事務所・トラビスパートナーズ(当時)で働くことになりました。
そこでは、当初は建築の設計をし、後にはインテリアデザインをしていました。
89年から90年代の初め頃は日本がバブル経済だったため、
多くの日本企業がオーストラリアへも投資目的で
オフィスやホテル・リゾートを買ったり、建設したりしていました。
私は唯一の日系企業担当ということで毎日多くのプロジェクトに携わり、
また、数少ない永住権を持つ日本人建築家(当時は私とIさんだけ)ということで
日本⇔オーストラリア間の橋渡しをするような役割も担っていました。
その後、1998年に独立して
シドニーに建築設計事務所を設立、経営するようになりました。
初めての社長業です。
オーストラリアでは珍しい設計施工一貫請負の会社です。
多くはレストランやオフィス・住宅の設計・施工をしていました。
私がデザインしたレストランは必ず繁盛するって評判でしたよ!
(ちょっと自慢っぽくてすみません)
そんな時、以前からの日本⇔オーストラリアの橋渡し的な役割をしていた関係で
オーストラリア政府のとある機関から、
「日本でビジネスをしたい会社があるので相談に乗ってもらえないか」
という話が来ました。
私は、
「ああ、またいつものパターンかな?」
と思いあまり期待はしていませんでした。
というのも、
当時のオーストラリア人はオーストラリア製品を日本へ持っていけば
何でもすぐ売れる、たくさん買ってもらえる、高く買ってくれる、と
日本でのビジネスを安易に考えているように私は感じていました。
そして、日本でのビジネスが上手くいかないと
日本人はお金持ちなのにケチだとかさんざん文句を言う始末でした。
なので
「○○を日本で売りたいんだけど手伝ってほしい」
とか、
「日本の△△関係の業者を紹介してほしい」
とか、
またそんな話だろうなと思いながら
オーストラリア政府機関の人の話を聞くことになったのです。