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2021.03.16ニッポン上げろ!

【社長メルマガ】震災後のある1日

※この記事は沈下修正の専門家アップコンの社長メルマガ
〔ニッポン上げろ!〕のバックナンバーです。
 
      第57号(2021/3/12発行)
        震災後のある1日
       
こんにちは!
コンクリートを上げるからアップコンの松藤です。
  
 
  
昨日11日で東日本大震災から10年が経ちました。
  
アップコンでは事務所、倉庫、施工・調査現場それぞれの場所で
午後2時46分に全員で黙とうをささげました。
 
地震当日の様子を少しお話させていただきました。
   
 
 
今日は”震災後のある1日”についてお話します。
  

  

  

  
震災後は電話が繋がりにくくなりました。
特に携帯電話。
  
また、2時間以上並んでガソリンを20リットルだけ給油してもらったりしていました。
 
コンビニには商品がなくなり、
何でもいいから見つけたら買っておこうという感じでした。
  
私たちアップコンのスタッフは
建物の床が沈下したり、住宅が傾いたりしている被災地を飛び回っていました。
  
 
  
そのような状況の中、
宮城県のある店舗から復旧のために
現地調査をしてほしいという連絡が来ました。
  
当時の都知事の発言で、自動販売機と○○業界は
電気を無駄に使っていてけしからん!と、名指しされた業界の店舗です。
  
 
  
アップコンのミッションは
  
「地震や地盤沈下で傾いたり、段差ができてしまった
コンクリートの床を短工期で修正すること。」
  
私たちは沈下でお困りのところへ駆けつけていきます。
  
 
  
震災直後、東北自動車道は寸断され、
常磐道は原発の影響で近寄ることもできませんでした。
  
私たちは宮城県へ入るために山梨・長野・新潟・山形県経由で行こうか、
などと計画したりもしていました。
しかし、この計画では片道だけで何日もかかり、
ガソリン・飲食料・宿泊等の問題がありました。
  
 
4月に入り徐々に東北自動車道も一般車両の通行が認められるようになりました。
しかし、仙台市内含め周辺のホテルは復旧作業の人優先ですべて満室でした
大手ゼネコンは自社で仮設の宿泊施設を建て、
作業員宿舎として利用するという状況でした。
 
そんな中、鳴子温泉が再開したというニュースを聞き早速予約を入れました。
  
 
  
震災からほぼ1か月後の4月中旬、
私はもう一人のスタッフと一緒に
まる1日かけて社用車で川崎から鳴子温泉まで到着することができました。
  
途中の東北自動車道は3車線のうち2車線が自衛隊の車両専用という感じで、
残りの1車線もほとんどが災害復旧関係の車両でした。
  
災害復旧関係の車両はフロントに災害復旧の表示をし、
車両のサイドにもそれとわかる垂れ幕のようなもので覆われていました。
  
車のナンバーを見ると、
それこそ全国各地から東北へ集まってきているんだなという感じでした。
  
 
  
翌朝、現場へ移動します。
  
私たちの泊まった鳴子温泉から現場までは、
通常なら車で1時間半程度のところです。
しかし震災後はいたるところで通行止めのための迂回や速度制限があり、
現場へ到着したのは午後3時。
80キロの距離に8時間もかかってしまいました。
  
 
  
さて、急いで調査しないと日が暮れてしまいます。
現地には電気も水もなく、暗くなると調査できなくなるからです。
  
私たちは事前に元請けに対して、
店舗内を調査できる状況まで片づけておいてほしいとお願いしていました。
  
なぜなら、このエリアは津波が2~3メートルの高さまで来て
店舗内がぐちゃぐちゃになってしまっていると聞いていたからです
  
 
店舗内の什器はほとんど撤去されていました。
  
しかし、店内には私の膝上の高さまで、
ヘドロでびっしりと埋め尽くされていました。
  
この状況では床にドリルで孔をあけられず、
土間床下の空隙量調査をすることができません。
  
それどころか、床レベル測量をするために
重いヘドロを押しのけながら測量用スタッフをもって店内を移動するのは困難です。

認定証
私たちはこの状況では調査するのが難しいことを元請けに説明しました。
すると元請けの人は、ヘドロを撤去するために人を集めておいたから
どかしてほしいところを指示してほしいと言ってきました。
  私たちは今からヘドロの撤去なんて無理でしょうと思いながらも
それしか選択肢がないような状況でもありました。
店舗の外には臨時で集められたスコップを手にしている人達が10人とトラック。
彼らが私たちの指示を待っています。
日が暮れるまであと2~3時間しかありません。
 
やれるところまでやってみようと言って、
私たちはまず店内の中央のヘドロから撤去をお願いしました。
テレビで津波の映像を見たことはありますが、
津波の後に残っているものはがれきとヘドロです。
ヘドロは臭いです。
  私はこの時初めて、津波がヘドロを運んでくるのだということを知りました。
 
    10人の人達は黙々とヘドロ撤去をします。
私はこの時もう一つ初めて知ったことがあります。
地震で家や家族や仕事を失った人達が黙々と作業をするときのパワーのすごさです。
  正直、最初は絶対にヘドロは一部しか撤去できないだろうと思っていました。
しかし、彼らは休まず、一言も会話もせず、本当に黙々と作業を続け、
たった2時間で800㎡の店舗内のヘドロを撤去しました。
私たちは彼らに感謝すると同時に、
いざという時の人間のパワーのすごさを目の当たりにしました。
 
 

 
  私たちの調査も無事午後5時半には終わり、
周囲もすっかり陽が落ちていました。
 
さて、私たちにはもう一つ重大な仕事が残っていました。
そう、川崎の事務所まで帰らないと今日泊まるところがありません。
体に着いたヘドロを洗うこともできず、交代で車を運転し、
日付が変わって何とか帰宅することができました。
そして私は、その日の晩(朝?)、
突然、原因不明の39.7度という高熱で苦しむことになりました。
 
     
震災後のある1日でした。
 
   

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